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松山地方裁判所 昭和35年(ル)109号 決定 1961年1月06日

債権者 崎山義忠

債務者 永野ミサオ

債務者 加藤五郎

主文

本件の強制執行申立を却下する。

申立費用は、債権者の負担とする。

理由

本件の事案は、債権者において、松山地方法務局所属公証人池田忠康作成第九、八六九号金銭消費貸借契約公正証書の正本に執行文の付与を受けた上、これに基く強制執行として、昭和三五年一月一四日貸付金の残額と称する金二二、〇〇〇円、並びに、これに対する同月二七日から同年一二月二二日まで三三一日間の金一〇〇円につき一日一〇銭九厘の割合による遅延損害金七、九三七円の支払に充てるため、債務者永野ミサオが第三債務者松山学校給食パン株式会社(松山市萱町九丁目六番地、代表取締役・岡田次一)より支払を受くべき各期の賃金の四分の一ずつ、昭和三六年一月分以降金一四、九三七円に達するまで、並びに、債務者加藤五郎が第三債務者株式会社程野庫蔵本店(同市泉町七二番地、代表取締役・程野庫蔵)より支払を受くべき各期の賃金の四分の一ずつ、昭和三五年一二月分以降金一五、〇〇〇円に達するまでの金銭債務の差押命令を申し立てたものである。

しかしながら、当裁判所は、右公正証書が債務名義とならぬから、これに基く強制執行は、許されないと考えるものであつて、左にその理由を述べる。

民事訴訟法第五五九条第三号には、公証人がその権限内において成規の方式により作成した証書(公正証書)が執行証書として強制執行の基本となるのは、「一定ノ金額ノ支払又ハ他ノ代替物若クハ有価証券ノ一定ノ数量ノ給付ヲ以テ目的トスル請求ニ付キ作リタル証書ニシテ直チニ強制執行ヲ受ク可キ旨ヲ記載シタルモノニ限ル」と規定されている。すなわち、右規定に従えば、公正証書が債務名義となるためには、(1)金銭又は他の代替物若くは有価証券の給付を目的とする請求につき作られたものであつて、(2)しかも、その金額又は数量が証書上明規されているか、又は少くとも証書自体から算出し得ることを必要とし、(3)かつ、債務者が直ちに強制執行を受けても異議がないという意思を表示し、これが証書上記載(執行受諾文言)されていなければならないのである。

ところで、債権者が本件強制執行申立の基本として援用している前掲公正証書の記載内容は、別紙表示のとおりであることが記録上認められるのであつて、その要点を摘記すると、おおむね左のとおりである。すなわち主債務者永野高一は、債務者に対し昭和三五年一月一四日の借受金二四、〇〇〇円を、同日以降同年四月二二日まで一〇〇日間毎日金二四〇円ずつに分割して返済すべく(第一条・第二条)、同主債務者において右割賦弁済を三日分以上遅滞するなど一定の不信用の事由があれば、当然期限の利益を失い、元本残額全部を即時に支払わねばならず(第七条)なお、期日に弁済を遅滞したときは、金一〇〇円につき遅滞期間一日金一〇銭九厘の割合による遅延損害金支払義務を生じ(第五条)本件の債務者両名は、前記主債務者が同証書表示の契約上負担する債務全部につき保証人となり、同主債務者と連帯し、かつ、保証人相互間でも連帯して、その履行の責に任ずることを約諾し(第八条)、なお、上記主債務者及び保証人両名において、右契約上負担する一定金額の債務を履行しないときは、直ちに強制執行を受けても異議のない旨受諾の意思を表示しているのである(第九条)。それ故、これだけを読むと、本件の公正証書は、請求金額も一定しているし、執行受諾文言も記載されていて、債務名義としての要件に欠けるところがないかのようである。しかし、右公正証書の記載内容については、前期一〇〇回分割弁済の期日のうち既に一五回の期日を経過した後である昭和三五年一月二九日に至り、公証人が当事者から嘱託を受けてこの証書を作成したことになつている点と、これに伴つて、保証人たる本件債務者両名が債権者と契約関係に立つたのは、主債務者の永野高一が債権者に対し借受金二四、〇〇〇円の返済を約束した同月一四日であるのか、その後右公正証書の作成が嘱託された同月二九日であるのか必ずしも判然とせず、おそらく前の想定が正しいと思わるものの、しかく断言するを得ない点に注意する必要がある。すなわち、債権者において同証書作成嘱託の時まで約定の分割弁済金をすべて遅滞なく受け取つていたと仮定すると、八五回分の分割弁済金二〇、四〇〇円が未払元本額として残るわけであるが、本件公正証書の記載自体に照し、必ずしも右元本残額とこれに対する遅延損害金だけについて同証書が作成されたと断定することは相当でない。換言すれば、既に履行期の到来した分割債務がある程度怠られたということで、残債務につき右証書が作成されたと認めることも、十分可能なのである。しかしそれにしても、本件公正証書作成嘱託の時まで当初の元本金四二、〇〇〇円及びこれに対する所定の遅延損害金が未払のままで残つていたのかどうか、一部支払がなされていたとしても、いかほどの金額が何時支払われたのかについては、同証書上全く記載を欠いており、結局これを確知するには他の資料にまたなければならない。したがつて、本件の公正証書には一応一定の金額が表示されているといつても、ひつきようそれは、前記主債務者が債権者に借受金の返済を約した昭和三五年一月一四日当時における同主債務者に対する請求金額の記載があるというだけであつて、同月二九日本件公正証書作成嘱託当時における同主債務者及び保証人たる本件債務者両名に対する請求金額は、同証書上明規されていないし、また、その記載自体から算出することもできないのである。してみると、右主債務者及び保証人両名において本件公正証書作成嘱託当時の残債務につき執行受諾の意思を表示し、この意思表示が右証書に記載されていると解する限り、同証書記載の請求金額は、一定しているといえないわけであるから、必然的に同証書の債務名義性は、これを否定せざるを得ないのである。

因みに、本件申立書の記載によれば、債務者は、前記貸付金二四、〇〇〇円中九回分の分割弁済金に満たない金二、〇〇〇円だけが、昭和三五年一月二三日までに返済されたと主張するもののごとくである。この主張は、もとより本件公正証書の内容を補充、解釈し、同証書に執行力を付与する資料たり得ぬものであり、また、その真実性を担保するものもさしあたりないのであるが、その内容は、決して右証書に記載された契約内容と矛盾するものではない。しかし、かりにこの主張が真実であり、公証人及び契約当事者において残額金二二、〇〇〇円とこれに対する一定の遅延損害金につき本件公正証書を作成し、又はその作成を嘱託する主観的意図であつたと想定しても、右証書自体においてかかる一定の金額の給付請求につき執行受諾文言が記載されているとは、到底認めることを得ないであろう。

もつとも、右に述べた見解に反対して、ともかくも本件の公正証書には、金二四、〇〇〇円及びこれに対する一定の弁済期日以降の一定割合による遅延損害金という一定金額の給付請求権が表示されているのであるから、執行受諾文言の付された請求権の範囲が不明確であつても、右証書の債務名義性を認むべきであるという説をなす者もあろう。しかしながら、前記主債務者永野高一についてはいざ知らず、保証人たる本件債務者両名に関する限り、その給付義務の範囲が証書上一定しているというためには、同人等において、右主債務者が債権者に対し借受金の返済を約した当初から保証人になつたという前提を承認する必要があると思われるが、本件公正証書の記載に照し、右前提自体の当否が疑問であることは、前述のとおりである。また、かりにこの前提事実を承認しなければならないとしても、そもそも公正証書に過去、現在又は将来における一定の金額又は数量の給付請求権が表示されている限り、執行受諾文言の付された請求権の範囲が不明確であつても、その証書の債務名義性を肯認すべきであるという抽象論自体が、従来の裁判例においてまま意識的又は無意識的に採用されているにもかかわらず、到底正当な見解とは考えられない。元来法が債務名義の制度を設けたゆえんのものは、強制執行手続を狭義の裁判手続から分離し、独立の機関に担当させる建前からして、請求権ないし責任の内容、範囲を万人の容易に認識し得べき表現形式をもつて一定の証書に明記することにより、執行機関が実体法上の請求権ないし責任の存否を調査する煩から解放され強制執行を迅速、確実に実施することを可能ならしめるにあることは、いうまでもない。したがつて、強制執行によつて実現すべき効果の種類及び範囲は、債務名義自体又は少くとも執行文若しくは他の判決(民事訴訟法第五一四条、第八〇二条)と結合して一見明確であるか、又は計算上明確にすることが可能でなければならないと解されているのであつて、右の一般論は、もとより執行証書の場合にもあてはまるわけである。ただ、執行証書は、裁判所の関与なしに成立する債務名義である関係上、法は、これに基く強制執行の適正を期するため、他の債務名義には必要でない執行受諾文言の記載を特に執行力の基本として要求しているのであるから、執行証書に基く強制執行は、執行受諾文言によつて劃された執行力の範囲内においてのみ許されるものといわねばならず、したがつて、その範囲は、当然証書自体において明確にしておかねばならぬ筋合である。それ故、民事訴訟法第五九条第三号により執行証書に表示された請求権の金額又は数量が一定でなければならないということは、つまり、債務者において執行受諾の意思を表示した給付義務の範囲たる金額又は数量が証書上明記されているか、又は少くとも証書自体から算出し得るものたるを要することを意味するに外ならない。これは、法文上必ずしも判然としないけれども、権威ある学説が当然のこととして承認している正しい理論なのである(Stein-Jonas-Schnke-Pohle,Kommentar zur Zivilprozetzordnung 18.Aufl.§794Ⅶ2;Rosenberg,Lehrbuchdes deutschen Zivilprozetzrechts 8.Aufl.§173Ⅰ8c;Schnke-Baur,Zwangs-vollstreckungsrecht und Konkursrecht 6.Aufl.14Ⅲ2b)。もしかように解するのでなければ、右規定が公正証書の債務名義となる場合を厳格に限定した趣旨がほとんど没却されるのみならず、ひとり執行証書についてのみ執行力の範囲が不明確でも債務名義性を認めねばならぬという、甚だ奇妙な結論に到達せざるを得ないであろう。当座貸越契約ないし根抵当権設定契約につき作成された公正証書は、債務極度額の表示があつただけでは通常債務名義にならないが、債権極度額の範囲内の一定金額について執行受諾文言が付されているときは債務名義になると一般にいわれているのも、以上説示したところを前提とすることによりはじめて理解し得るところである。かような次第で、公正証書の債務名義性の有無を判定するに当り、執行受諾文言の付された範囲を問題とすることなく、証書上表示された給付義務の金額又は数量が一定しているかどうかを考える立場には、到底賛成することができないのである。

さらに、本件の公正証書には、債務者等において債権者に対し、借受金の返済を約束した当初、右債務の元本金二四、〇〇〇円とこれに対する一定の遅延損害金につき強制執行を受けても異議のないことを、債権者に約した事実が記載されていると認めることにより、証書上執行受諾文言の付された請求金額が一定しているものと解し、本件公正証書の債務名義性を肯認する立場も考えられるであろう。しかしながら、右証書の記載において、保証人たる本件債務者両名が債権者と契約関係に立つた時期が判然とせず、これを証書作成嘱託の時であると解すべき余地もあることは、前述のとおりであり、はたしてそのとおりであるとすれば、本件債務者が執行受諾の意思を表示したのも、証書作成嘱託当時の残債務についてであると解するの外はあるまい。(なお、附言するならば、前記主債務者の執行受諾の意思表示にも、保証人等のそれと証書上同一条項において一括記載されており、両者の間に格別の内容上の差異を認めることは困難であるから、同主債務者もまた、証書作成嘱託当時の残債務について執行を受諾したと認める方が、より妥当な解釈ともいえるのである。)しかのみならず、かりに本件公正証書に記載された執行受諾の意思表示の意味内容を前示反対説のとおり解するのが正当であるとしても、かかる解釈に立脚して同証書の債務名義性を論証することは到底不可能であるといわざるを得ない。すなわち、元来民事訴訟法第五五九条第三号により強制執行の基本となる公正証書に記載すべき執行受諾の意思表示は、なんら私法上の法律行為を構成するものでなく、もつぱら債務名義を成立させることを目的とし公証人に対してなされるところの訴訟上の意思表示である(最高裁昭和二六・六・一判決・民集五巻七号一、三六七頁以下、同昭和三二・六・六判決・民集一一巻七号一、一七七頁以下)。それ故、本件の公正証書に記載された執行受諾文言が、前述のような過去における債権者に対する私法上の意思表示の内容を表示したものにすぎないとすれば、それは、もはや前示民事訴訟法の規定が予想している執行受諾文言には当らないから、結局本件の証書には執行受諾文言の記載を欠いているものとみなければならず、その意味において同証書の執行力は、これを否定する外はないのである。

また、本件の公正証書に記載された債務者等の執行受諾の意思表示は、やはり同証書の作成を嘱託する際に公証人に対してなされた訴訟上のそれであると認めながら、その受諾した請求金額は、債務者等が債権者に対して履行を確約した債務の全部又は一部が、右証書作成嘱託当時既に弁済その他によつて消滅したと否とにかかわらず、当初の元本金二四、〇〇〇円並びにこれに対する一定の遅延損害金の全額であると考える立場も予想されないではない。しかしながら、この考え方に従うと、本件の公正証書に表示され、かつ、執行受諾文言によつて、執行力を付与された請求権のうち、右証書作成嘱託の時までに弁済その他により消滅に帰した部分があれば、その分は、債務者等において、強制執行を受けることにより少くとも一旦は過払を強制されてもやむを得ない旨を容認したとみなければならず、その不合理を除去するためには、別途執行終了前にあつては請求異議訴訟、執行終了後にあつては不当利得返還請求訴訟を提起せねばならぬことに帰着する。本件の債務者等のなした執行受諾の意思表示が、かような不利益を甘受したものと解することは、意思表示の解釈の基準たるべき取引の慣行と信義誠実の原則とに著しく背馳するものであつて、到底賛成し難いところである。したがつて、右に述べたような観点に立つて本件公正証書の執行力を肯認する見解も、やはり根拠に乏しいものといわなければならない。

以上要するに、本件の公正証書は、民事訴訟法第五五九条第三号所定の債務名義としての要件を具備しないものと断ずべきである。よつて、同証書に基く本件強制執行の申立を許されぬものとして却下することとし、なお、申立費用の負担につき同法第八九条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 戸根住夫)

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